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■作曲家・船村徹さんの内弟子、鳥羽一郎、静太郎、天草二郎、走裕介、村木弾の5人が日光では最後の演歌巡礼コンサート。名曲全25曲を熱唱

 戦後歌謡界を代表する作曲家・船村徹さん(享年84)=栃木県塩谷郡船生村(現・塩谷町)出身。2017年2月16日死去=の没後、内弟子歌手の鳥羽一郎(71)、静太郎(58)、天草二郎(52)、走裕介(49)、村木弾(43)の5人が「船村徹内弟子五人の会」として、船村メロディーを継承するために「演歌巡礼コンサート」を2017年より開催してきたが、その最終公演「演歌巡礼 in 日光 Final~船村徹を歌い継ぐ~」が、船村さんの誕生日である6月12日の昼夕2回、「船村徹記念館」が併設されている栃木・日光市の日光街道ニコニコ本陣 ニコニコホールで行われた。

 毎回、多くのファンが楽しみにしている恒例のコンサートだが、今年は船村さんの7回忌という節目の年でもあることから今回を一つの区切りとして、日光での演歌巡礼コンサートは、この日がファイナル。   
会場には、船村徹門下の森若里子、高瀬典子の2人もゲストとして駆けつけ、全国から詰めかけたファンで2回公演ともに満席=2回公演合わせて700人=の中、1950年代の船村作品から村木が「男の友情」、走が「別れの一本杉」、天草が「ご機嫌さんよ達者かね」、高瀬が「夜がわらっている」、静が「あの娘が泣いてる酒場」、森若が「東京だョおっ母さん」、鳥羽が「柿の木坂の家」をそれぞれ歌唱。

鳥羽が「たくさんの皆さんにお越しいただきましてうれしゅうございます。みんなで頑張って歌わせてもらいます」と感謝の言葉を述べた後、走が「今日も、船村先生に『でれすけ』(栃木弁で「ばかたれ」という意味)と言われないように一生懸命歌わせていただきます」、高瀬が「今日は、この演歌巡礼のステージに立たせていただけますこと大変幸せに有り難く思っております。精いっぱい歌います」、静が「今日も船村徹先生の名曲を、心を込めて歌わせていただきます」、森若が「大好きな船村メロディー、今日も精いっぱい歌います」、天草が「頑張って歌います」、村木が「今日はうちの先生の91回目の誕生日です。兄貴と姉さま方と一生懸命歌います」とあいさつ。

そして、鳥羽が「先生は元気だと、91歳になるんです…。今回は、年代年代に作った歌がたくさんありますので、その歌を皆さんにお届けしたいと思います」と言って、1960年代から80年代にかけてヒットした船村メロディーから静が「なみだ船」、走が「哀愁波止場」、村木が「夕笛」、高瀬が「おんなの出船」、天草が「王将」、森若が「宗谷岬」、鳥羽が「おんなの宿」を披露。
続いて、異色の船村作品から「白馬のルンナ」「スナッキーで踊ろう」「ダイナマイトが百五十屯」の3曲を、鳥羽が当時のエピソードを交えながらオリジナル音源で紹介。

船村さんの未亡人・福田佳子さんも会場に駆けつけ、ステージ上で「たくさんの皆さまにお越しいただいてありがとうございます。船村もきっと喜んでいると思います」とあいさつし、この日のために作ってきたという手編みのセーター各回5枚ずつを客席のファンに抽選でプレゼント。
後半は、1980年代以降にヒットした船村メロディーから静が「風雪ながれ旅」、村木が「海鳴りの詩」、高瀬が「みだれ髪」、天草が「矢切の渡し」、走が「傘ん中」、森若が「女の港」、鳥羽が「兄弟船」、そしてフィナーレは全員で鳥羽のオリジナル曲でもある「師匠(おやじ)」を熱唱。全25曲のプログラムすべてが船村作品一色で構成されたステージで、最後まで客席を楽しませた。

最年長の鳥羽は、内弟子の後輩歌手たちを見渡しながら「みんな、修行したのよ。叱られながらやっていたのは、みんな、修行だと思うよ。いい勉強をさせていただいたよ。先生には大感謝しなければだめだね」と振り返りながら「船村先生は、作曲家の先生方の中でもヒット曲が一番多いんじゃないか。天才だと思いますね」と、改めて師匠の偉大さをアピールしていた。

サンニース  

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